前回、神奈川新聞の社説について書きましたが、丁度1回目と2回目の間の91年(平成3年)6月青森の東奥日報紙がやはり社説で取り上げたものを、神奈川県から現地に工場を建設した社長を通じて入手していますので紹介しましょう。「異業種交流で技術開発を」というタイトルで「経済の国際化が進み、企業の経営環境は厳しさを増している。産業、企業が生き残れるかどうかの目安は、技術開発力であるといわれる。」の書き出しで始まる社説は、続けて「逆にいえば、新製品の開発や新サービスの開発で業況を大きく伸ばすことができるということでもある。しかし業界のなかで情報交換をしているだけでは、技術開発のヒントをつかみにくい。むしろ異業種の人たちとの交流のなかで、発想の転換を図ったり、ニーズをつかむきっかけが得られたりする。」と指摘し、地元の活動について触れています。
「県は1983年度(昭和58年)に『県技術交流プラザ』をつくった。当時は県内資本の製造業者を主な対象に参加を呼び掛け、33企業でスタートした。その後は対象を広げ、87年度には誘致企業と大企業、翌88年度には卸・小売業も加えた。本年度は、新たに結成した『平成3年度県技術・市場交流プラザ』に33企業が参加。これまでのOBによる『プラザ青森88』にも39企業が参加した。
会員同志の情報交換だけでなく、『函館地域異業種交流フォーラム』を訪問したり、逆に東京の『すみだ87』を招いたり交流の輪を全国に広げつつある。
そして「地場産業と県外資本の誘致企業や研究機関が手を結ぶことによって、技術後進県の汚名返上を目指そうとしているる」と述べています。 神奈川新聞の社説が、これに前後して「質が問われる異業種交流」「販路拡大を目指す異業種交流」と次元が異なっているのは市場に近い、神奈川県の状況を反映したものといえます。 |